大変興味があります。
高長恭のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。
勇猛で美形であり、なおかつ悲劇的な最後を遂げたことから人気は高かった。特に「蘭陵王入陣曲」は唐代に日本に伝わり、雅楽の演目「陵王」として演じられている。また京劇では近年の新作の題材としても取り上げられている。
中国北斉の皇族で将軍、一般には封号である蘭陵王(らんりょうおう)で知られる。諡は武。祖父は高歓、父親は高澄、弟に安徳王がいる。名将として名高いが後主に猜疑され粛清されてしまった悲劇的な人物。
北斉の武将として、たびたび北周と戦った人物。 勇猛ではあったが美貌の持ち主としても知られており、「北斉書」等の史書によれば、564年北周が兵を発して洛陽を包囲した時、段韶、斛律光と共に援軍を率い、500騎の鉄騎兵(※1)を率いて包囲を破り、洛陽の解放に貢献した。包囲を突破して城門へたどり着いたとき、城門の守備兵達は鉄騎兵団が味方かどうか分からなかった。そこで王が兜を脱いで素顔をさらしたところ、守備兵たちは北斉軍であると認め、弩を下ろして開門したという。それをきっかけに北周に勝利し、北斉の兵士たちは「蘭陵王入陣曲」という歌謡を作って彼の勇猛を称えた。この逸話が変化し、唐代には「その美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、常に仮面をつけて戦っていた」という、現在知られている説となった。
※1:鉄騎兵とは、北朝の軍隊に特有の軍団。全身を鉄鎧・鉄板で防御し、馬にも同じような装備をさせていた。騎手の顔も、兜と一体になった鉄の面で覆うため、兜を付けていると顔が見えないのである。
その後は尚書令、太尉と立身するが、数々の戦いによって名声を立てたことによって、後主から忌避されるようになる。粛清されることを恐れて、わざと戦利品を貪って評判を落としたり、戦功を立てることを恐れて病にかかっても治療しないという努力をしたものの、573年、後主より毒薬を賜り、自殺する。
蘭陵王は諡号を武王ということからも判るように、非常に勇猛な将軍であった。しかし、「音容兼美」と史書に明記される麗貌に加え、「果物を贈られた際、将卒に分け与えた」「軍功を称えて皇帝から十人の美女を賜ったとき、一人だけ選んで辞退した」と記されるように、誠実で心優しく、謙虚な人物であった。粛清を恐れて逃れる努力をした、という完璧な英雄ではない人間的な部分も、彼を魅力的な人物たらしめているといえよう。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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